【file01-01: 依頼と鍋】
この世は弱肉強食とは、よくいったものだ。
どこかの漫画キャラが言っていたような気がするが、確かにそのとおりだ、と俺は思う。
強いものが弱いものを捻じ伏せ、服従させ、粉砕する。
弱いものは強いものに足蹴にされ、蹂躙され、そして消えていく。
いくら、義務教育で平等をすり込もうとも、子供はいずれ競争社会の渦に投げ込まれる。
そして知るのだ、平等などありえないことを。
平等こそ、最大の不平等であることを。
「りしゃつしゃががあんでふって?」
「はふはふ、だからぁ、じしゃつしゃが、おおふぎるのだ」
「・・・おい、お前ら、口に物入れながらしゃべんな」
「らってにくよ?にく。あんにちぶりのにくあとおもへんのよ」
「まあ確かに、久しぶりではあるけどさ・・・ほら、それはまだ熱い、火傷するぞ」
そう、弱肉強食。
目の前では、強いものが勝つといわんばかりの光景が繰り広げられていた。
ぐつぐつと煮えたぎる鍋を目の前にして、野獣の如く肉を租借する少女二名。
片方は、銀色に輝く長髪を頭の左右で振り分けたアンディーク人形。
俺の股の間に小さな尻を落ち着けて、牛肉を親の敵のように貪る。
赤い瞳をギラギラ輝かせながら、小さな頬に目一杯肉を詰め込んでいる。
そんなナリでも、美少女として成り立つとは、おそるべし、有栖川アリス。
もう片方は、対照的な真っ黒な長髪を真っ直ぐに切りそろえた日本人形。
俺の正面に紅い袴姿であぐらをかき、牛肉を麺類のように啜る。
白い肌に栄える真っ赤な唇を、ひっきりなしに動かし、肉を飲み込んでいる。
そんなナリでも、美少女として成り立つとは、おそるべし、芳野サクラ。
まあ、どちらも少女・・・という年齢ではないのだが。
「カナタ、それは流石にデリカシーが足らない発言じゃないかしら」
「そうだな、縁にはオトコの甲斐性とういものが足りん」
「全くね、そんなだから少女偏愛者になるのよ」
「だな」
「酷い言われようだな!おい!」
二〇〇七年、秋。
赤く染まった椛の葉が舞う、十月も半ばにさしかかった頃。
俺とアリスは、街の中心に立つ、神社・・・正確には、宮司たる芳野家を訪れていた。
その瓦屋根の平屋の一室、芳野サクラの私室で、俺たちは卓を囲んでいる。
ちなみに。ここに来るのは珍しいことではない。
月に何度か、長い石段を登ってくるのが、俺達の習慣になっている。
別に、神を信仰しているわけではなく、
『仕事』と『情報』を提供してもらうため・・・という酷く現実的で切実な目的のために甲斐甲斐しく通っているのだ、
ああ、他力本願万歳。
「ところで、自殺者が多すぎるって何のことだ?」
猛烈な勢いで口元を動かす二人は、億劫そうに目線を交し合う。
「ああ・・・繁華街にある踏み切り、知っておるな?」
数秒の攻防の末、結局、サクラだけが箸を止め、
その幼い容姿――アリスより少し年上に見える――には釣り合わない口調話し始めた。
股の間のフードファイターは肉を消費し終え、野菜を頬袋に詰め込み始めている。
うちの所長は、こういう面倒な話はかかわる気がないらしい。
毎度のことだから、もう文句は言わないが・・・俺がいなかった頃は如何していたんだろうか。
「九月頃から、そこでの自殺が多発しておるのだ、それも不自然な程、な」
「むぐむぐ、まあこのご時世、クチャクチャ、ブルーマンデーなサラリーマンが多そうよね・・・はむはむ」
「食うか喋るかどっちかにしろ、食欲魔人」
「生憎、月曜ではなく、火曜と金曜に一人ずつ死んでいるのだがな。
それに『標的』は、サラリーマンだけではない。主婦、子供、学生、浮浪者、旅行者、『無差別』だ」
「・・・ふぅん・・・」
「なんだ、文句でもあるのか?縁」
サクラは、その印象的な唇を吊り上げ、俺に問う。
その表情は、歪に歪み、しかし心底嬉しそうだった。
全く、この容姿でこの性格・・・俺と同い年とは思えない。
どちらの意味でも。
そう『標的』、『無差別』・・・その意味するところは。
「それじゃあまるで・・・」
誰かの意思で、人が死んでいる・・・殺されているという事。
『無差別』に『標的』を選ぶ『誰か』がいるという事。
そんな俺の考えを見透かしたように、彼女は更に邪悪に微笑む。
「うむ、そうだ。その通りさ。これは誰かの意思で行われている、歴とした殺人事件さ。
ああ、なんということだ。ああ、なんという悲劇だ、およよよ」
「うさんくせぇ奴・・・」
オーバーリアクションで悲しみを演出するサクラ。
まあ、その笑顔じゃあ、喜劇と聞き間違われても文句は言えないだろうがな。
この性悪女が。
「でも、それは本当に殺人なのか?誰か目撃者とかいないのかよ?」
そうだ、自殺として片付けられた死亡事故をサクラは殺人と定義した。
ならば、そう定義する理由があるはず。
しかし、彼女の返答はそっけないものだった。
「いない」
「・・・いないだって?」
「ああ、人っ子一人いない」
「だったら」
だったらそれは、殺人と言えるのか?
回答、いえない。
自殺を殺人と定義し直すには、第三者の存在が不可欠だ。
誰かが被害者の背中を押す必要があるのだ。
普通の事件ならば。
普通の。
「そうか・・・『頁』が絡んでるのか・・・もしくは『本』・・・だから、殺人犯を見たものがいない。
なんらかの『奇異』を屈指して遠隔操作で人を殺している・・・そういうことか?」
「ふふん、そう思うか?」
『本』・・・書物、書籍。
『頁』・・・ページ、本の構成要素。
ただし、この場合、ただの『本』の『頁』を示すわけではない。
『力を持つ本』の『力を封じた頁』を指している。
疑問に思ったことは無いだろうか。
現代に入り、昔に比べて『奇異』――ユークリッド幾何学に反する事柄――の存在が、
異常に少ないことに疑問を持ったことはないだろうか。
例えば、アレだけ中世ヨーロッパで騒がれた悪魔や吸血鬼の存在は、
近年になり全くと言っていいほど、報告されなくなった。
では、日本の妖怪や幽霊はどうか。
そう、同じく殆ど観測されることはない。
万物は観測者がいて初めて存在することが出来る。
しかし、観測者がいるのにもかかわらず、存在が希薄になることなどありえるのだろうか。
それも、この世界と次元がずれた場所にあり続ける存在が、勝手に減っていくことなどあるのだろうか。
否。
そんなことは、起こりえない。
エネルギーが、質量が、減少するには、なんらかの理由があるのだ。
そう、かつて魔女狩りが行われたように。
ひっそりと、人知れず、別次元のソレと対抗する者達がいたのだ。
『奇異』を回収する組織が存在したのだ。
『奇異』を消滅させる組織が存在したのだ。
『奇異』を飼いならす組織が存在したのだ。
そして、そのどの組織も、『奇異』に対抗するために、とある媒体を使用していた。
それこそが『本』。
力を持つ『本』。
一方では『聖書』と崇められ、一方では『魔道書』として蔑まれた『本』。
それらは『図書館』という組織から、それぞれ目的を持った組織に貸し出され、
世界中の『奇異』を『頁』として保存し、保管し、補完し、記録しつくした。
そう。
だから、現代において『奇異』は発生しない。
一片たりとも、一かけらも、論理性に欠けるものは、存在しない。
はずだった。
『図書館』と言われる組織の長『司書』が、死ぬまでは。
『図書館』と呼ばれる組織が、解体されなければ。
『図書館』に『本』がすべて、戻ってくれば。
『本』のオリジナルが燃えてしまうまでは。
いくとも起きたイレギュラー、綻び。
それらは、世界に再び『奇異』を解き放ってしまった。
『本』という形で。
『頁』という形で。
「ふふん、そう思うか?」
「思うね、ワザワザ俺たちに話をするって事は、少なくとも芳野はそう思ってるんだろ?だったらそれで十分だ」
「ほう、随分信頼されているんだな、私は」
「まあな、芳野サクラの言葉ではなく『情報の姫』が言うことなら間違いないさ」
「ふん、記憶も曖昧な癖に、よく言うわ」
「ごもっとも」
俺は大げさに肩を竦ませて苦笑する。
そんな俺に、サクラは笑いかける。
少し辛そうに、少し嬉しそうに。
「全く、お前は・・・変わらんな、初めて会った時からずっと」
それは、珍しく。
彼女にしては、本当に珍しく、皮肉を感じさせない物言いだった。
彼女の生い立ちは、『知識』として、把握している。
しかし、実感が伴わない俺には、今の彼女の気持ちを押し知ることは出来なかった。
だが反面、彼女の奥底にある狂気と、血が煮えたぎるような怒りだけは、理解できる。
知識から、容易に推測できる。
その途轍もない怒りを制御し、管理し、明日への活力に変換する彼女を、
俺は純粋に尊敬している。多分、俺には、どう足掻いても出来ない事だから。
本当に、同い年とは思えない。
「さて、今回の依頼内容の確認といこうか。
依頼内容は『連続飛び込み自殺の防止・原因の排除』だ、成功報酬は、これだけだ。」
そう言って、彼女は指を五本立てる。
その額に思わず眼が飛び出た。
いや、比喩ではなく、実際に飛び出たのではないかと思った。
だってよ・・・いくらなんでもそれは・・・。
「ちょっと待て、指一本で百万ってことだよな?」
「ああ、そうだが。何か問題でも?」
「・・・クライアントは誰なんだ?」
「元警部補」
「・・・ヨーコさん?」
「ああ、一廓ヨウコだ」
元警部補、現ニートのお嬢様の依頼だった。
それなら素直に頷ける。
この多額の報酬も、依頼内容も。
「離職する羽目になっても、まだ追ってるんですね、あの人・・・」
「ああ、そうらしいな。『奇異』惚れ込むとは、愚かな女よ」
サクラはそう言って、再び箸を取る。
ここで話は終わりだと、告げるかのように。
まだ依頼を受けるとは言ってはいないのだが・・・彼女の中では既に、
依頼を受けることが決定しているようだった。
・・・まあ、実際、断る理由もないのだが。
・・・というか、貴重な依頼を断れるような経済状況ではない。
アリスのバック――ウサギの形をした機能性ゼロのポーチ――から、財布を取り出して、中身を確認。
夏目も福沢もいない・・・野口も樋口も当然いない。
小銭で、八百と飛んで六円。
それが俺たちの全財産だった。
・・・・・・なんかホントにやばくねぇか、これ・・・。
ちらりと視線を向けると、サクラは指を一本立てた。
仲介料で一本か・・・いい仕事だ。
「おい、アリス。この依頼、受けるぞ」
俺は、先ほどから一度も口を開いていないアリスに向き直る。
どうせ、話を聞きながら、鍋をかっ食らっていたに違いない。
どんな状況でも、飯を最優先できる図太い神経が羨ましいな、と思いつつ顔を覗き込む。
「すぅすぅ・・・」
膝の間のお姫様は、口の端から涎と咀嚼途中の肉片を垂らして眠っていた。
「・・・・・・おい・・・」
しかも、いい感じにだし汁が俺のジーパンに、べっとりとついていた。
ついでに、アリスの顔も、髪の毛も、服もベタベタになっていた。
綺麗なままなのは、彼女が左手にぎゅっと握った温度計くらいなものだった。
「というか、普通に鍋食ってて、どうしたらこんな状況になるんだよ!」
「縁・・・難儀な奴だな」
「うるせぇ!」
「お前、もう少し女を見る目をつけた方がよいぞ」
うるせぇよ・・ほんと・・・。
「おい、ハルカ!ハルカはいるか?」
「はい、なんでしょう、お姉様」
サクラが声をかけると、音も無く襖が横にスライドした。
「この二人に風呂と着替えを準備してやれ」
「はい、わかりました。準備が出来ましたらお呼びしますね、カナタさん」
サクラの妹、芳野ハルカちゃん――姉とは違い、お淑やかな性格でスラリとした日本美人!――は、
相変わらず気配もなく部屋を訪れ、足音も無く去っていった。
「・・・女を見る目はあるつもりなんだけどなぁ・・・」
「ハルカはやらんからな」
「このシスコン・・・」
「ロリコンには言われたくないわ」
「うむむ」
「うむむむむ」
ちなみに。
この後、風呂場でひと騒動あったのだが、割愛させていただく。
世間の目とか、俺の人権とかそういうものを守るためにも割愛。
それにしても、割愛――愛執を断ち切る、か。
どうやら俺には難しい言葉のようだった。
さて、視点が変わり、去っていく二つの背中を見つめる視線が一つ。
芳野サクラは、艶やかな黒髪を掻き揚げ、クツクツと不快な笑い声を響かせた。
縁カナタは言った『目撃者はいないのか?』と。
そして、サクラは答えた『いない』と。
一見、噛み合った受け答え。
しかし、二人の意図は食い違っていた。
『いない』という言葉を『殺人犯を見たものがいない』、と縁は理解した。
だが、サクラは、『いない』と言ったのだ。
誰一人『目撃者』はいない、と。
「白昼堂々の殺人劇。しかし、しかし。不思議なことに、いやいや、不可思議なことに、誰一人、そう誰一人、
被害者を、線路に飛び込んだ哀れな羊を、目撃していないのだよ。
『――彼らが肉塊になるまで誰一人気がつかなかった――』。
わかるかい?縁カナタ。この異常さが、この非現実さが。これこそが奇異。これこそが別次元の脅威。」
再び、サクラはクツクツと笑い出す。
その瞳には、狂気の色が爛々と、業火の怒りが轟々と渦巻いている。
どこまで行っても、尽きることの無い黒い炎。
その炎は、大小重なる二つの背中をいつまでも捕らえ続けていた。
二つの影が石段の下に消えるまで。
ずっと。
ずっと。
二人を見つめていた。
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