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【file01-00: prologue】  二〇〇七年、秋。 赤く染まった椛の葉が舞う、風の強いその日。 俺は、ソレと同じ色の液体とサクラ色の肉を周囲にブチマケて。 二十二年という短い人生に終止符を打った。 特に感慨はない。 (あー今度からアイツの前に立つのはやめよう…) なんてことを考えながら、スローモーションのように流れる景色を横m… グシャリ。                              ■■■  ピーーーーーー 火にかけたケトルから蒸気が勢いよく噴出す。 ガスを止め、洒落た造りの注ぎ口から、安物のマグカップに湯を注ぎ込むと、 カップの底に敷き詰められたインスタントコーヒーが液体の中で踊り、溶けてゆく。 ゆらゆらと揺らめく白い湯気は、思いのほか鮮明で、この街にも冬が到来したことを告げていた。 俺、縁カナタは、二つのマグカップと一本の温度計を盆に乗せ、 散らかった生活区域(パーテーション)内から、仕事場へと向かう。 「あ、カナタ、ありがと。ちょっと机の上いっぱいだから、そっちに置いておいてくれないかしら」 年季の入った机の向こう側から聞こえた声に従い、応接スペースとなっている低いテーブルの上に盆を置く。 「お、折り菓子発見」 少々くたびれた革張りのソファーに腰掛け、缶の蓋を開ける。 中身は、老舗菓子店のクッキー詰め合わせ。 …ふむ、このチョコチップクッキーなんて実に美味そうだ。 「カナタ、先に食べたら承知しないわよ」 「あいあい、了解…おお、美味いな、これ」 「ちょ!アナタねぇ…言った傍から、もう…」 机の上に山積みにされた書類で声の主の姿は見えない。 でも、俺には、この事務所の主が、無表情に、されど精一杯のむっつり顔を作っていることが手に取るようにわかった。 (手に取るように…か) ガラス製の温度計を手にとり、マグカップ内に差し込む。 温度計内部に封じ込められた水銀が、グングンと上昇していく。 (ちょっと、熱すぎたか…) セルシウス度で九十二度。 目に見えない温度というやつが手に取るようにわかる…便利なものだ。 当然のことながら、過去に偉人が居たからこそ、温度計がある。 そして、過去という時間を生きた俺が居たからこそ、理解できることもある。 だが、そのどちらも、なぜそうなるのかは、俺には解らない。 温度計をスティックに見立て、湯をかき混ぜながら、事務所を見わたす。 入り口から時計回りに、本棚、パーテッションで区切られた生活用の空間、 名前も知らない観葉植物、そして窓際に書類と所長の机、夕日を書いた油絵、そして、もう一つの本棚。 そのどれもが、部屋の空気に馴染み、長い間そこにあり続けていることを主張している。 そして、それらについた傷のいくつかは、多分、俺がつけたものもあるのだろう。 「・・・・・・・・・」 少し離れたメインストリートを、時より走り抜ける自動車の音が、とても大きく感じる。 それほど、街は静まり返っている。 低い大気の温度が、水蒸気だけでなく、外界の音までも凍らせたのだろうか。 しばらくの間。書類を捲る音と、小気味よいタイプ音だけが、空気を震わせていた。 タンタカカタカタ、タン。 タカタッカタカッタ、タ、タン。 ペラリ。タンタカッタ、タン。 タン、タカタタタカ、タンタタ、タン。 タンカッタタ……。 「・・・嫌になるくらい、静かね」 「ん・・・ああ、静かだな」 パリッっという独特の、ブラインドを折り曲げた音が聞こえる。 「雪、積もるといいわね」 「そうか?」 「そうよ、そうに決まっているわ」 「そんなもんかね」 「うん」 「・・・・・・」 「・・・コーヒー、飲もうかしら」 「・・・・・・」 「ついでに、カナタのも飲もうかしら」 「ブホァ!?いきなりソレですかっ!そっちのネタに走るんですかっ!が折角作った空気も一瞬で粉砕ですかっ!」 「どこかの雑誌に書いてあったのよ、『私だけの個性を磨け!モテる女の…なんちゃら〜』みたいなことが」 「個性的過ぎて百年の恋も一瞬で冷めるわ!」 「あら、あたしの事、そんなに想っててくれたの?」 「た、例え話だ!馬鹿者!」 「あら、残念」 先ほどまでの、静寂が嘘のような、言葉の応酬だった。 というか、完全に遊ばれてるし、俺! ああ、コイツにシリアスな語り出しを期待した俺が馬鹿だった。 「あら、失礼ね、あたしだって、真剣にやるときはやるわよ」 ギシリと金属が軋む音がし、書類の影から、小さな人影が現れる。 それは車椅子に乗った、小さな、本当に小さな女の子だった。 人間離れした美しさと、その歳では備わるはずの無い妖艶さを併せ持つ、白い少女。 頭の先から、太ももの先まで純白。一点の曇りも無い。 そのギラギラと輝く紅い瞳と、太ももの先にある痛々しい切断面を除けばだが。 しかし、それらも彼女を惹きたてる装飾品にすぎない。 「念のため言っておくけど・・・やる、って言ってもソッチの意味じゃないわ・・・よ?」 「わかっとるわ!なんでそんなに疑わしげなんだよ!」 「いや、カナタの事だから、間違ってヤっちゃうかもしれないじゃない?」 「はいはい、もう突っ込みませんからねー」 「突っ込むなんて・・・カナタのロリコン!」 「・・・・・・もう何も言わん」 ああ、それと。 性格は、一点の白さも無いので要注意。 現実なんてこんなものだ。 容姿、超絶美少女。 反面、性格、エロオヤジ。 白銀の髪に、白い肌。 真っ赤な瞳は、至極鮮やかで。 湿った唇は、人を惑わす。 両足を絶った、芸術品。 感覚を失った、欠陥品。 公称年齢二十七。 有栖川探偵事務所所長。 有栖川アリス。 俺の命の恩人にして、俺の雇い主。 そして・・・・・・。 「ねぇ、もしかして、お腹、空いている?」 「あん?…まあ、その…」 「むふふー、ねえ、どうなの?」 「多少…すいてる、かも」 「ふふっ、素直で結構。いいわよ、食べても」 彼女は、車椅子でゆっくりと、俺の前までで来ると、そう言い、手を広げた。 その顔は、可憐で、華が咲くような、それはそれは華やかな微笑だった。 「こんな時だけ、嬉しそうに笑うなんて反則だ・・・」 「反則で結構。ねえ、早くあたしを食べてくださいな」 俺は彼女に促されるまま、彼女に手を伸ばす。 絹のように滑らかな肌、潤んだ円らな瞳、桜色の柔らかな頬、彼女の全てが、俺を導く。 「それでは・・・イタダキマス」 唇に彼女のソレを重ね、貪り喰う。 一方的に搾取し、蹂躙し、陵辱する。 彼女の生命力の全てを喰らい尽くす。 そして。 そして、彼女は『俺の貴重な栄養源』だ――――。 「あーあのですねー…そういう事する前に、キチンと鍵を閉めた方がいいとヨーコは思う次第であります、よ?」 ・・・・・・・・・。 ・・・・・・。 ・・・。 「…あ、どうも、ヨーコさん。寒かったでしょう、コーヒー飲みますか?」 「カナちゃん、現実逃避は良くないと、ヨーコは思うの」 「…うっ」 何事も無かったように、マグカップを差し出す俺に、ジト目で答えるスーツ姿の女性・・・一廓ヨコウ元警部補。 現在、ただのニート。 いや、マジで。 どうやらいつの間にか、来客があったようだった。 全く気がつかなかったが・・・まぁ、ヨーコさんで良かったと思うしかない。 これが本当に、お客だった日には、もう目もあてられない。 「えっと、ヨーコさん、どのあたりから見てました?」 「カナちゃんが、有栖川を・・・」 「コナタが、あたしをソファーに連れ込んだあたりから居たわよ。それと、依頼主に見られた事、何回かあったと思うわ」 「気づいてたのかよ!てか、だったら止めろよ!てか、見られたことあんのかよ!」 悪びれもしないで言うアリスに、三段ツッコミを入れる俺。 試しにギロリと睨んでやっても、何処吹く風だ。 「全く・・・カナちゃんったら・・・ぶつぶつ」 そんな俺たちを尻目に、ヨーコさんは、トコトコと軽い足音を立てつつ、なにやらブツブツ呟いていた。 俺とアリスが、アレな感じにもつれ合うソファーを大きく迂回して、油絵の傍に寄りかかる。 俺たちの向かい側のソファーが空席なのに、こっちに寄って来ないとは・・・随分とご機嫌斜めらしい。 (普段なら、尻尾をブンブン振りながら駆け寄ってくるのになぁ・・・) 茶色がかったセミロングの髪が、心なしか逆立っている気がする。 試しに、手招きをしてみる。 「がるる」 完全に犬化していた。 俺は再び、眼下のアリスに視線を送る。 彼女は、 「しょうがないわね・・・」 と言いつつ、俺の腕を手すり代わりにして、起き上がった。 お気に入りのレースのブラウスは着崩れ、臙脂色のミニスカートも皺だらけ。 自慢のロングヘアーで作られた、ツーテイルも中途半端に解け、酷く不恰好に見える。 だが、その顔は心なしか嬉しそうな無表情だった。 「ヨウコ、用事がないなら帰ってくれないかしら。もしかして、借金返済にきてくれたのかしら?」 「うぐっ!」 「ああ、もしかして・・・破壊してくれたパソコン、弁償してくれる気になったのかしら?」 「ううっ!」 「あ、じゃなかったら・・・へし折ってくれた義足、直してくれたのかしら?」 「ぐぅぅ!」 「まさか・・・まさか、人の楽しみを邪魔しに来たわけじゃないわよ・・・ね?」 ひぃっ!と小さく吠えた犬は、恐る恐る、向かいのソファーに腰掛ける。 アリスはそれを満足そうに見つめ、マグカップ内温度計を見つめる。 当然、水銀はとうに下がりきっていた。 俺は、主人と飼い犬のやり取りを遠目に観察しつつ、アリスの着替えを用意する。 きっと、これから仕事、それも一ヶ月前の仕事の後始末があるだろうから。 パーテッション内にある簡易ハンガーラックの端、 普段、あまり使われていない事を示すクリーニング屋のビニール袋の中身が、目的のブツだ。 飾り気の無い真っ黒なワンピース。 喪服。 そして、一冊の厚い、"熱い"、「本」。 「ああ、それと・・・」 ケトルを再び火にかける。 今度は、コーヒー三杯分。 ブラインドに手をかけ、パリッっと音を立ててみる。 窓の外は、露でよく見えなかった。 本当に雪が降っているのかさえ。 ――――見えなかった。

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